History & Heritage

實相寺の歩み――上町台地に受け継がれる祈りと文化

天正元年(1573)創建の實相寺。開山・實相上人、現在地への移転、 住友家との深いご縁、歴代墓所、戦後の再建、ご本尊や重要文化財まで、 四百五十余年にわたり受け継がれてきた祈りと文化をご紹介します。

大阪市天王寺区上本町にある「寰公山 浄泉院 實相寺」は、天正元年(1573)の創建以来、 四百五十余年にわたり、上町台地の地で念仏と供養の法灯を受け継いできた浄土宗寺院です。

寺伝によれば、開山の實相上人は、室町幕府第15代にして最後の将軍・足利義昭公の嫡子と伝えられています。

元和3年(1617)には現在地に寺領を拝領し、同年、住友家第2代当主・住友友以によって 住友家の菩提寺と定められました。

境内には、初代・住友政友夫妻から第14代・住友登久までの歴代墓所をはじめ、 大坂の学問、芸能、産業の発展に足跡を残した人々の墓碑があります。

また、鎌倉時代前期に造立されたと考えられるご本尊の木造阿弥陀如来坐像や、 重要文化財の観経曼荼羅図など、長い歴史の中で守り伝えられてきた仏教美術も伝来しています。

寰公山 浄泉院 實相寺

實相寺の正式名称は、

「寰公山 浄泉院 實相寺」

といいます。

読み方は、「かんこうざん じょうせんいん じっそうじ」です。

宗派は浄土宗、総本山は京都の知恩院です。本堂にはご本尊として阿弥陀如来をお祀りし、 浄土三部経を所依の経典として、念仏と供養の教えを今日まで受け継いでいます。

實相寺が所在する上町台地周辺には、歴史ある寺院が数多く集まっています。 實相寺もその一寺として、上本町の町並みや地域の人々の暮らしとともに歩んできました。

天正元年の創建と實相上人

實相寺は、天正元年(1573)8月、實相上人によって開かれました。

實相上人の正式な名は、

「寰蓮社玉誉上人誠阿實相閑公大和尚」

です。

当寺に伝わる由緒略記によれば、實相上人は足利義昭公の嫡子であり、 三縁山で出家修行した後、河内若江岩田の地に草庵を結んだとされています。 これが實相寺の始まりです。

足利義昭公は、室町幕府第15代にして最後の将軍です。室町幕府が終焉を迎え、 戦国から近世へと時代が大きく移り変わる中で、その子と伝わる實相上人が仏門に入り、 念仏の道場を開いたことが、實相寺の由緒として伝えられています。

史料に見られる開山の記録

寺内の由緒略記には、實相上人について「足利義昭公嫡子」と記されています。

一方、元禄8年(1695)から行われた浄土宗寺院の由緒調査を、享保5年(1720)に編纂した 『蓮門精舎旧詞』では、開山について「足利義昭の隠子」と記録されています。

史料によって「嫡子」と「隠子」の表記に違いがありますが、 いずれも足利義昭公の子として實相上人の由緒を伝えています。

そのため、實相寺では、寺内に伝わる由緒を尊重し、 「寺伝によれば、足利義昭公の嫡子と伝えられています」とご紹介しています。

現在地への移転

元和3年(1617)、實相寺は現在の上本町の地に寺領を拝領したと伝わります。

明暦3年(1657)の「新板大坂之図」には、現在の寺地に實相寺が記されています。

また、元禄14年(1701)の地誌『摂陽群談』には、上本町の寺町にある知恩院末寺として 實相寺が記録されています。

これらの史料からも、江戸時代前期には、現在の上本町の地で寺院として歩んでいたことが確認できます。

住友家との深いご縁

元和3年(1617)、住友家第2代当主・住友友以が、實相寺を住友家の菩提寺と定めました。

当寺の院号である「浄泉院」は、友以の戒名、

「浄泉院即心良入居士」

に由来しています。

寺院の正式名称そのものに、住友家との深いご縁が刻まれているのです。

大正時代に編纂された『大阪府全志』にも、實相寺は住友家の菩提所であると記されています。

住友家は、江戸時代の商家を礎として、銅事業などを通じて発展し、 のちに近代日本を代表する住友財閥へと成長しました。

實相寺に残る住友家墓所は、住友家の歴史と、その歩みを支えた人々を現在に伝える墓所です。

初代から第14代までの住友家墓所

實相寺の境内墓地には、住友家歴代当主とその家族の墓碑が残されています。

初代・住友政友夫妻、第2代・住友友以夫妻の墓をはじめ、 第3代・住友友信および夫人の各墓、第4代・住友友芳および夫人の各墓が、 それぞれ残されています。

さらに、第5代・友昌、第6代・友紀、第7代・友輔、第8代・友端、第9代・友聞、 第10代・友視、第11代・友訓、第12代・友親、第13代・友忠、そして第14代当主・登久までの 墓碑が大切に守り継がれています。

實相寺に墓碑が残る住友家歴代当主とその家族

  1. 初代 住友政友夫妻
  2. 第2代 住友友以夫妻
  3. 第3代 住友友信および夫人の各墓
  4. 第4代 住友友芳および夫人の各墓
  5. 第5代 住友友昌
  6. 第6代 住友友紀
  7. 第7代 住友友輔
  8. 第8代 住友友端
  9. 第9代 住友友聞
  10. 第10代 住友友視
  11. 第11代 住友友訓
  12. 第12代 住友友親
  13. 第13代 住友友忠
  14. 第14代 住友登久

これらの墓碑は、江戸時代から近代に至る住友家の歩みを伝えるとともに、 實相寺が長く住友家の菩提寺として供養を担ってきた歴史を今に伝えています。

大阪大空襲と戦後の再建

昭和20年(1945)3月14日の大阪大空襲により、實相寺の伽藍は焼失しました。

寺院の建物や周辺の町並みの多くが失われる中でも、 實相寺の法灯と、先人から受け継がれてきた供養の営みが途絶えることはありませんでした。

戦後、本堂は再建され、地域の方々の祈り、ご先祖供養、葬儀、法要の場として再び歩み始めました。

現在の實相寺は、戦災からの復興と、次の時代へ法灯をつなごうとした先人たちの願いを受け継いでいます。

ご本尊・木造阿弥陀如来坐像

實相寺の本堂中央には、ご本尊として木造阿弥陀如来坐像をお祀りしています。

像高は54.0センチです。両手を膝前で組んで定印を結び、蓮台上に結跏趺坐する阿弥陀如来像です。

細かく整えられた螺髪、高い肉髻、穏やかな肉付きなどには、 平安時代後期に確立された仏像様式の特色が見られます。

一方、意志的な表情、動きのある衣文、広く張った膝前などには、鎌倉彫刻の特色が表れています。

こうした作風から、文化財調査では、12世紀末から13世紀前半の鎌倉時代前期に制作されたものと考えられています。

寺町に伝来する鎌倉彫刻の貴重な作例として評価され、令和5年度に大阪市指定有形文化財に指定されました。

寺伝に残るご本尊の由来

寺内の由緒略記では、ご本尊は鎌倉時代初期の京都円派による尊像と伝えられています。

また、京都・清凉寺前住職で、京都国立博物館長、京都大学人文科学研究所長を務めた 故・塚本善隆上人の念持仏であったとされています。

阿弥陀如来の両脇には、観音菩薩と勢至菩薩をお祀りしています。

さらに、浄土宗の教えを伝えられた善導大師と法然上人、千手観音、地蔵菩薩などの尊像が本堂を荘厳しています。

重要文化財・観経曼荼羅図

實相寺には、鎌倉時代の重要文化財「観経曼荼羅図」が伝来しています。

寺内の由緒略記では、

「浄土曼荼羅・伝恵信僧都源信筆・重要文化財・旧国宝・鎌倉時代」

と記されています。

観経曼荼羅は、『観無量寿経』に説かれる阿弥陀如来の極楽浄土を絵画として表したものです。

阿弥陀如来と観音菩薩、勢至菩薩を中心とする極楽浄土の荘厳や、 極楽往生に関する教えが描かれています。

これは単なる美術作品ではなく、阿弥陀如来の極楽浄土を観じ、 念仏の教えを人々へ伝える仏教絵画として、大切に守り継がれてきたものです。

實相寺に眠る文化人・実業家

住友家墓所のほかにも、實相寺には、大坂の学問、文化、芸能、 近代産業の発展に関わった人々の墓碑があります。

五井蘭洲

五井蘭洲は、元禄10年(1697)に生まれ、宝暦12年(1762)に没した、江戸時代中期の大坂を代表する儒学者です。

名は純禎、字は子祥、通称は東九郎といい、蘭洲、冽庵、梅塢などと号しました。

20歳のときに京都・古義堂の伊藤東涯に入門し、のちに懐徳堂の講師となりました。中井竹山らとともに、懐徳堂における学問の基礎を築いた人物です。

實相寺に残る墓碑の碑文は中井竹山が撰し、中井履軒が書したものと伝えられています。

入江育斎

入江育斎は、享保3年(1718)に生まれ、寛政11年(1799)に没しました。

住友家第5代当主・友昌の弟で、本姓は住友氏です。

儒学を五井蘭洲に、和歌を冷泉為村に学びました。

病弱であった兄・友昌を支え、住友家の家風の立て直しに取り組むとともに、製銅技術の向上にも尽力したと伝えられています。

のちに別家を立て、豊後町で両替商を営み、「十人両替」の一人となりました。

広瀬宰平

広瀬宰平は、文政11年(1828)に生まれ、大正3年(1914)に没した実業家です。

住友家の初代総理人として、幕末から明治維新期における住友の事業を支えました。

別子銅山をはじめとする住友の事業の近代化を進め、住友の経営基盤を築いた人物として知られています。

明治時代の大阪財界を代表する人物の一人です。

高田 実

高田実は、明治4年(1871)に生まれ、大正5年(1916)に没した俳優です。

東京・千住に生まれ、川上音二郎一座では悪役を演じて高い評価を受けました。

のちに大阪で関西新派の中心人物となり、再び東京へ戻った後は、本郷座の座頭として新派の全盛時代を築きました。

浄土宗とお念仏の教え

實相寺は浄土宗の寺院で、総本山は京都の知恩院です。

浄土宗は、法然上人が承安5年(1175)に開かれました。

阿弥陀仏の本願を信じ、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称え、 極楽浄土への往生を願うことを大切にする教えです。

お念仏は、特別な人だけのためのものではありません。

日々の暮らしの中で阿弥陀さまを仰ぎ、お念仏とともに生き、 自分自身と周囲の人々を大切にしていく道でもあります。

實相寺では、開山以来受け継がれてきたお念仏の教えをもとに、葬儀、年忌法要、 ご先祖供養、春秋の彼岸会、施餓鬼法要などを勤めています。

現代へ受け継がれる實相寺

實相寺の歴史は、過去の由緒や文化財だけで成り立っているものではありません。

足利義昭公の子と伝わる實相上人による創建、住友家との深いご縁、 大阪大空襲による焼失と戦後の再建、そして長い年月を経て守られてきた仏像や曼荼羅。

それらの歴史は、現在行われている一つひとつの葬儀、法要、供養、念仏の中に受け継がれています。

實相寺は、これまでの歴史を大切に守りながら、これからも人々が静かに手を合わせ、 大切な方を偲び、自らの生き方を見つめる場であり続けます。

南無阿弥陀仏

實相寺の基本情報

正式名称
寰公山 浄泉院 實相寺
読み方
かんこうざん じょうせんいん じっそうじ
創建
天正元年(1573)8月
開山
實相上人 / 寰蓮社玉誉上人誠阿實相閑公大和尚
宗派
浄土宗
総本山
京都・知恩院
宗祖
法然上人
ご本尊
木造阿弥陀如来坐像 / 大阪市指定有形文化財
所依経典
浄土三部経 / 無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経
寺宝
重要文化財・観経曼荼羅図 / 寺内由緒略記では「浄土曼荼羅」
所在地
大阪市天王寺区上本町4丁目2番35号